妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.8
この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、
妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。
どんな未来が待っているんだろう。
あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。
うらぎりの子宮8 〜当たり前がありがたくて〜
私が先生に自然と笑顔を向けたのは、おそらく初めてだっただろう。
「よく頑張りました。最短で治せる人中々いないよ。もう大丈夫。」
そう話す先生の雰囲気は、今までと違うように感じた。
あれだけ冷たかったのに、物腰も発する言葉も柔らかくなっている。
もしかしたら、こっちが本当の先生なのかもしれない。
癌を治すことも妊娠することも、簡単な事ではないと誰よりも理解している人だ。
だからこそ、軽々しく希望を持つような言葉や励ましを、今までくれなかったのかもしれない。
私のいつもの、自分に都合の良い解釈かもしれないが、あの先生が安堵している様子を見て、この治療の大変さ改めて実感し、この期間で完治できた事は奇跡なのだと感じた。
今後の検査頻度などが一通り説明され、先生による最後の診療が終わった。
帰り際先生は、
「妊活するんでしょ?今治療が終わって、子宮が綺麗な状態だから、すぐ妊活に入りなさい!ね!」
といつもに増してハキハキした声で私を送り出した。
子宮頸がんの治療にかかった期間は半年強。
改めて見ると、『短い』と思うだろう。
だが私はこの期間、
子供が欲しい・痛い・気持ち悪い・消えたい・やめたい・恨めしい・辛い・頑張りたい・心配されたくない・心配されたい・まだやれる・お金かかるな・ありがとう・変わって欲しい・諦めるか・もう少し・まだやるのか・いつまで……
これよりもっと多くの感情に、常にこねくり回されながら生きていた。
正直、気が休まっていた日なんか1日だってない。
当時は病気とも、そんな感情とも常に戦っていた。
なのでこの時、癌が治り妊活に入れる事はもちろんだが、やっとドス黒い感情に振り回されずに生きていける事が、本当に嬉しかった。
先生の勧め通り、私たちはすぐ妊活に入った。
いよいよだ!ようやくスタートなのだ!これでまた壁にぶち当たったら、潔くまた先生の世話になろう!折角きつい治療で治したのだ、長期戦になっても頑張ろう!
……と、そんな事を考えながら、鼻息荒く始めた妊活。
治療のおかげなのか、タイミングが良かったからなのか、
予想に反し妊活を初めてわずか3ヶ月後に、私は妊娠した。
心底嬉しかった。いや、もはや底からも上からも嬉しさが漏れ出てきていた。
私が『羨ましい』と思いながら見ていた妊婦さん達も、こんな気持だったのだろうか。
私今なら、抱き合って、お腹を撫であって、祝福しあえます!!
と、完全に有頂天になっていた。
妊娠初期からつわりがひどく、毎日ふらふらだったが、お腹の中にいるまだ見ぬ我が子が愛おしくてしょうがなかった。
ある日の会社帰り、少し前まで毎日通院の為に降りていた病院の最寄り駅を、そのまま通過した時、ふと以前の自分を思い出した。
『羨ましい。そっち側になりたい。』
街で、電車で、病院で、SNSで、妊婦さんを見かける度にそんな気持ちになっていた。
今自分は、あの時なりたかった“そっち側”になれたが、今度は別の人が以前の私の様に、今の私を羨んでいたりするのだろうか。
誰でも、どっちの立場になりうる事がある。
そう思うと今の結果は、『本当に運が良かった、奇跡だったんだ。』と思えた。
もしかすると、癌を完治することが出来なかったかもしれない。
妊娠する事ができなかったかもしれない。妊娠しても問題があるこの子宮で、子供を無事に育てられていたかも分からない。
でも言ってしまえば、それらは誰が悪い訳でもなく、突然やってくる“どうにもならない事”だ。
“どうにもならない事”は責める対象も、根底の原因もぼんやりとしていたり、そもそもなかったりもする。
だから対策も取れないし、気持ちのぶつけどころも分からなくて、どんどん精神が参ってしまう。
妊娠・出産は未知に溢れていて、大小はあれど“どうにもならない事”がたくさん待ち構えている出来事だ。
私の癌も、難がある子宮も、ウイルス免疫を持ち合わせていないこの体も、全てどうしようもない事だった。
だが“どうにもならない事”があったからこそ、今お腹に子供がいる、運よく当たり前になったこの状態に、精一杯喜んで心から感謝しなくてはと強く思った。
結果として妊娠して子を授かる事ができたから、『綺麗事だ。』と捉えらそうな、こんな事が言えるのかもしれない。
確かに完治できず、妊娠もできなければ、こんな風に思えていたかは分からない。
でも、どん底の日々で良くも悪くも、全部が当たり前ではないと肌で感じた今、心からそう思えるのだ。
結婚式の1週間前に子宮頸がんが分かった日から、5年が経った。
妊娠していた子は無事に生まれ、今では頭を抱えるぐらい元気な4歳児である。
今回このコラムで私は、『妊活』をスタートさせる為の、手前部分を書かせてもらった。
私は妊娠する為に、一般的な『妊活』を行っていた訳ではないが、
子供が欲しい一心で、ほぼ毎日治療に励んだあの期間も、私にとっては『妊活』の一貫だった。
妊活も、妊娠してからも、そして出産も。
神秘的で不明確で思い通りに行かない事の方が多かった。
『もしあの時、あれをああしていたら……。』などと考えたりするが、どうなっていたなんてのは、全然想像がつかない。
おそらく何回経験しても、分からない事だらけで、ずっと思い通りに行くことなんてないのだろう。
そして私は今、やはり“どうにもならない事”が尽きない、子育てという仕事の真っ最中である。
今後何があるかは分からないが、これから先何度もまた心にモヤがかかったり、折れそうになったりする事だけは見えている。
だから厚かましくも、周りには、「まだまだこれからも私の事を支え続けてください。(一礼)」と懇願する。
無理だと感じたら「ちょっとすみません。」と、堂々と肩を借りるつもり満々である。
申し訳ないがそうさせてもらえると、
この先また、“どうしようもないこと”があっても、心に余裕が出来、“運よく当たり前になった事へのありがたさ”がある事に気づける。
そして『どうにかなるんじゃないかな。』と、少しでも前向きに生きていける気がしているのだ。
(文/ワタナベミユキ)
※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。
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