妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.6
この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、
妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。
どんな未来が待っているんだろう。
あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。
うらぎりの子宮6 〜脆さを受け入れてから〜
母が、私の事を陰でずっと気にかけてくれていた事が嬉しかった。
弱っている自分を素直に受け入れる事ができ、肩の力がスッと抜けた。
元より、私は頑固な性格で、特に仕事や自分ごとに関しては、厳しくする方が性に合っている。
30年近くそうだったから、“自分の弱い部分“を受け入れるのが、すっかり困難になっていたのだと思う。だから癌になっても、他人ばかりを心配し、自分の心配はきちんとしてあげられていなかった。
更に、『頑張れ。病気になっても私は大丈夫。甘えない。』と、自分に鞭打つ方法しか知らなかったものだから、それが余計に自分を追い詰めていた。
そして、体よりも先に心が限界を迎えてしまのだろう。
そんな時に母が、
「神社でね。6月に紫陽花をトイレに吊すと女性の病気が治るって聞いたから。」
と、静かにでもとても深く心配してくれている様を見た。
私は、『ただただ無事であります様に。』と願われている事がとても嬉しく、そして人に想われている事が何よりも心強かった。
母の行動の全貌を聞かずとも、伝わるものはとても大きかった。
母は「大丈夫?」「頑張れ。」などとは一切言わなかった。
種類は違えど、癌治療を経験した母もまた、同じ様に思う事があったのかもしれない。
そして私の性格を知る母だからこそ、あからさまに心配している様を見せなかったかもしれない。
心に余裕がでたおかげか、『ああ、今私は誰かに寄り添ってもらってないと無理だ。』 と自分の弱い部分をすんなり受け入れる事が出来、そして主人の私に対する対応についても、今までは『言っても無駄な事だ。』とグズグズと悩み・我慢していたが、『帰ったら主人に話そう。』と、ストンっと決断できた。
そして、行きよりも軽くなった心で、治療をする日常に戻る為に実家を後にした。
連休が終わり、いつもの様に定時で仕事を切り上げて、病院へ向かう。
今日は1回目の検査結果が分かる日だ。
処置室で治療を終えると、診察室に来る様にカーテン越しに言われた。
緊張で息が速くなる。上擦った声で「失礼します。」と言い、診察室の椅子に座る。
見てもわからないのに、先生の手元のカルテを覗き込んでしまう。
先生が、椅子を回してこっちを見た。
「良かったね。1回目クリアです。」
私は「え?大丈夫だったんです?クリアですか?」と咄嗟に聞き返してしまった。
「クリアです。」よりも、あの先生の口から「良かったね。」という優しい言葉が出た事に驚いてしまったのだ。
先生は「はい。」と呆れた感じで返事した。
続けて、「まだ後2回クリアしないといけないからね。“続ける事”頑張ってね。」と言った。
いつもなら、私から話しかけることはしないが、ふと先生の言葉が気になって聞いた。
「……“続ける事”やめちゃう人もいるんですか?」
先生は目線だけこちらに向けて、
「薬でも治療でも“続ける事”が一番しんどいからね。3回連続クリアできなくて、何年も治療に通っている人もいる。“2回クリアして3回目が駄目だった”を何度も繰り返して、“続ける事”が辛くなってしまう人もいる。」
と、淡々と答えてくれた。
先生は『治療を辞めた人はいる。』とは言わなかった。
でもきっといたのだろう。続ける事が辛いという気持ちは痛いほどわかる。
現に自分が今その状態だから。
治療が痛くて、辛いのではない。
友人が子供を授かることが、両親に良い報告を出来ないことが、病院で大きなお腹を撫でる人を見ることが、駅で大変そうに赤ちゃんを抱きながら移動する人を見る事が、なんならテレビで『子育てしながら働く』という特集を見る事も……。
全部が少しずつ辛いのだ。
そしてジワジワと蓄積されて、心が耐えきれない程の大きさに変わる。
その辛さを抱えながら毎日治療に通っていると、ふとした瞬間に『癌を切ってしまいたい。治療を辞めたい。』と簡単に思ってしまう。何度もだ。
診察後は真っ直ぐ家に帰った。
『今日の検査の結果について、主人は何も聞かないだろうな。……いや、確実に聞かない。むしろ、“検査がある事すら知らない“とぐらいに思っておこう。』と夕飯を作りながら決意した。
思い起こせば、結婚前に付き合っている時も、世のカップルが行う様な“駆け引き”や“思わせぶり”といった行動を一切取らなかった私達。いつでも“報・連・相”で片付けてきていた。
行きたいところがあれば、「あそこに行ってみたいな〜♪」ではない。
「ここに行きたいので、この宿を予約しようと思いますが、月末空いていますか?」が、我々が正解とするやり取りであった。
2人で過ごす初めてのクリスマス、出かけもせずプレゼントも用意せず、いつも通りに過ごそうとしている主人に対しても、「今日はクリスマスだよ!?なんで何もないの?」と聞くのは不正解。模範解答は「間違っていたらすみません。仏教徒ですか?」とまず相手の状況を確認する事である。
お互いが今までそうしてきたのに、急に『病気になって精神的に辛い、察してくれ。』は無理な話だったのかもしれない。
だからと言って、『どうせ言ったところで分かってくれない。』と自分が我慢をする必要もない。
だって私は、“2人の子供を妊娠する為に“治療を頑張っているのだから。
主人が仕事を終えて帰ってくると、すぐに声をかけた。
少し前まで、モヤモヤして話を切り出せなかったのに、この日はスムーズに“報・連・相”ができた。
まず、1回目の検査をクリアできた事。
そして、平気そうに見えても、メンタルが削られていて挫けそうなので、「どうだった?」と様子を伺って欲しい。と要望を伝えた。
至極シンプルな要望。でもこれで十分なのだ。
「辛いね。」「大変だね。」と悲観も同情もしなくていい。
毎日「どうだった?」と聞いて、“あなたを想っている”という態度を、少し目にみえるようにとってくれればそれでいいのだ。それだけで、小さな辛さが積み重なってしまうのを防ぐ事が出来る。
癌になり、思っていたより自分は脆かった事を知った。
そして、今までその脆い部分を“家族”が補ってくれていた事を、心から実感した。
それからは、主人は“とりあえず”ではあるが、「今日はどうだった?」と聞いてくる様になった。
相手からどうだったかと聞かれれば、こちらも『あぁ、話してもいいんだな。』と思え、治療の事や、体調、気持ち、先生の愚痴、なんでも話せる様になった。
私は、ドス黒い不安の濃度が日に日に薄まっているのを感じ、通い続ける治療に対しても、今までとは違った感情を持つ様になっていった。
(文/ワタナベミユキ)
※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。
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