妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.2

この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、

妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。


どんな未来が待っているんだろう。

あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。





うらぎりの子宮 2 〜受け入れたくない病を理解するまで〜



「はい、あなたね。子宮頸癌(しきゅうけいがん)です。」


そう医師から言い放たれた時、膝に置いていた手から、全身がドクンと鳴るのを感じた。

自分の体から聞こえるドクドクという音が煩く、その後の説明は全く耳に入ってこなかった。



私は「癌」に対して明確な恐怖心を持っていた。


私が大学2年生の時、父が血液癌になった。

手術後の自宅療養中、恰幅が良かった父は薬の副作用で痩せ、身体中の毛が抜け落ちた。

私は毎日何とも言えない気持ちで、小さくなった父と一緒に食事をとっていた。

数年経った今は、有難い事に毛も多少生えて以前のように元気になったが、まだ薬を飲み続けている。


父の治療が少し落ち着いてきた頃、今度は母に肺癌が見つかり、手術で左の肺を半分切除した。

執刀医に切除した肺を見せてもらった時、煙草を吸わなくても、生きているだけで肺はある程度黒くなるという事を教わった。


大学4年生になった私は、卒業制作に追われながらも、手術と治療の為入院する母のもとへ出来る限り見舞いに行った。母が家を不在にしている間は、家事もしなくてはならず、毎日疲れ切って生活していた事を覚えている。

見舞いに行った際、母が一度だけ「治療が辛い。もう死にたい。」と漏らしたことがあった。

学業と家の事、そして母の事でいっぱいいっぱいだった私は、今まで聞いたことがなかった母の弱音に何と声をかけたら良いのか分からなかった。



私は身近な人が癌になった姿を見た事があり、また身近な人が癌になった時の、大変さ・辛さを身をもって経験していた。

その経験のためか、自分が癌だという事を認めたくなかったのかもしれない。

先生の説明を何一つ理解しないまま、「自分は癌である」という結果だけを持って、日が落ちる前に電車に乗り家路についた。

いつもは混んでいても必ず急行に乗るのだが、この日はわざわざ各駅停車に乗り、ボーッと車内から外を眺めていた。

気力という気力が抜け落ちていた。


主人の帰りは早くても20時。

今それまでに出来る事は、帰って夕飯を作ってお風呂に入る。それだけだ。

スマホで調べようにも、話の内容を覚えていないので何も調べられない。

病院にいた時より体は煩くなくなっていたが、帰っている最中も家に着いてからも、腹のあたりからドクドクと鼓動を感じていた。



「ただいま。」

夜、いつものように新婚とは思えない、落ち着いたテンションの主人が帰ってきた。

作っておいたご飯を出す。

いずれは引っ越す予定だからと、私達は結婚しても何一つ新しい物は買わず、主人が今まで使っていた、ひび割れた革の2人掛けソファーと、腰が痛くなるほど低いコーヒーテーブルで食事をとっていた。

主人がいつも通り大きな体をソファーに沈め、テーブルに乗ったおかずに顔を近づけ食事をとろうとしたその時、私は唐突に報告した。


「あのね、癌だった。子宮頸癌だって。」


言ったそばから涙が出た。自分でもびっくりした。

泣き出したらもう止まらなかった。


両親が癌だった時の事、自分が癌である事、癌の場所が子宮である事、結婚式がもうすぐである事……色んな事・色んな感情がごっちゃになって、とにかく泣く事しかできなかった。


「何て言われた?医者は何て?」

どうして良いか分からない主人は、こればかり私に聞いた。

私は、「分かんない!覚えてない!先生冷たい!紙とかに書いて説明してくれんかった!」と愛想0%の先生の悪口を含めて答えた。

パニックになった私は、しまいには先生を「あいつ」と呼び、癌の話ではなく先生の悪口大会を参加者一名にて開催。

この時点で話せることがそれしかなかったのだ。

今思えば動揺していたとはいえ、先生を悪く言ってしまった事については申し訳ないと思う。


しかし私にも言い分がある。先生は冷たすぎやしないかと。

大きなお世話かもしれないが、「癌」と聞けば大抵の人はショックを受ける。「大丈夫ですよ。落ち着いて。ではわかりやすく説明しますね……。」みたいな優しさがあってもいいのではなかろうか!

まあ、先生も一人の人間だし、ここで私が言っても仕様が無い事だけど。


……どうやら5年経ってもまだ悪口が出てくるようだ。




「とにかく病院にもう一度聞きに行こう。一緒に行くから!」

何を聞いても「分からない。」としか答えられない私に、主人はそう言った。

普段なら瀕死の状態でもない限り、病院に付き添うなんて絶対する人ではない。

その主人が一緒に行くと言ってくれた事に、その“一時だけ”は“ほんの少し”救われた。


癌と診断された数日後、会社を早退した主人と再度病院を訪れた。


主人が「すみません。もう一度聞きに来ました。」と切り出し、そのまま淡々と話始めた。

愛想0%先生と、淡白人間の主人。そして淡白人間改め、話を覚えない・ズルズルと泣くポンコツ人間の私。

診察室は、まるで上司と使えない部下が、取引先との商談に来ているかのような雰囲気だった。


主人は話の所々で、認識に違いが起きないよう、そして私が理解できるように話をまとめてくれた。

おかげで自分が置かれている状況を、良くも悪くもだんだんと理解させられた。


まずそもそも、子宮頸癌の多くは感染症から発症する事が多く、この感染症は成人女性の過半数が感染すると言われている。しかし、感染しても90%の女性は自己免疫でウイルスを排除できるらしい。


『なるほど、私は排除できなかった10%になるんだな……。』


などと、今更ながらやっと状況の入り口を理解し始めたというのに、この後先生から続け様に言われる“新たな事実”が私に追い討ちをかけた。




(文/ワタナベミユキ)

※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。

0コメント

  • 1000 / 1000