妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.5
この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、
妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。
どんな未来が待っているんだろう。
あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。
うらぎりの子宮 〜家族のそれぞれ〜
「君はウイルス排除をするDNAを持ってない。」そう告げられた。
『……厄介だなぁ。』
思いの外ショックは受けず、どちらかと言えば呆れた。
というより、度重なる衝撃事実の発表で、『あー、はいはい。またですか。』程度にしか感じなくなっていたのだと思う。
ただ、自分に癌が見つかったことを両親と主人以外には黙っていたかったので、癌検査を促す為に、姉と弟に報告しなければならなくなった点だけはとても嫌だった。
「……という訳で、近日中に検査をして。」
あまり深く聞かれる事が嫌で、あえて平日の仕事中、唐突に姉弟へLINEを送った。
姉は検査を受けるという旨と、心配しているという旨の返事を直ぐにくれた。姉もまた、結婚したばかりでこれから妊活に入るところだった。
一方弟はというと。
仲が悪い訳ではないが返信は滅多にない。ただこの時ばかりは、内容が内容だったからか、その日の内に返信がきた。しかし『OK!』のスタンプのみ。
予想はしていたが、あまりにも軽い返信に、『こいつは、検査に行かないかもしれない……。』と思い、弟には電話でも「必ず行け!」と釘を刺した。
なんでもない事だが、癌になり周りから心配される対象となっていた私が、弟を心配する行為は、“変わらずいつも通り”な感じがしてなんだか少し嬉しかった。
『大丈夫だろう。』『でも、もしかしたら……。』
2人の検査結果が出るまで、双方の思いがグルグルと駆け巡る。
姉弟一度に癌になる事なんてそうそうない。ただ、過去に両親共に癌であった事、そして“DNA”が関係しているという事が、不安な考えを加速させた。
検査の結果、姉・弟共に“陰性”。
『私以外は、“いつも通り”に過ごせる……!両親が“DNA”の関係で責任を感じなくて済む……!』そう思い、心の底から安堵した。
初夏に治療を始め、もうすぐ季節が秋になろうとしていた。
毎食後に薬を飲み、連日仕事の終わりの通院。土曜日は混むので朝一で病院の前で並ぶ。
あんなに苦痛だった、子宮をブラシ掻き出される治療は、まだ違和感はあるものの、涙目で顔を歪ませる事がなくなるぐらいに慣れた。
暇があれば“子宮癌”について検索。SNSでは知人のおめでたや子供の投稿に、モヤがかかった心で “いいね”を押す。
これが私の“日常”になっていた。
日常になってしまったからだろうか。
主人もこれに慣れてきてしまっている様だった。
「どうだった?」「大丈夫?」という声がかかったのは初めの数日。
毎日の治療が命がけな訳でも、動けなくなるほど苦痛な訳でもないが、それに対して何も興味が無いような態度を取られると、腹立たしく虚しい。
慣れてきたと言ったが、それはあくまで治療行為の事。
『完治できるのか。』『いつ治るのか。』『妊娠できるのか。』と言った不安が消えた訳ではない。むしろ熟成されて一層ドス黒くなってきている。
なのに、完治に向かって一緒に頑張ろうとしてくれていると思っていたパートナーが、治療に、私に、関心を持っていない。これがドス黒くなった不安にどんどん拍車をかけた。
「気にならないのか!?」
「他人事だと思ってるのか!?」
「私だけが頑張ってる!!」
口に出して、ぶつけてしまいたいと何度も思った。
でも、言ったところで淡白人間の主人の口から、この質問に対して私が満足する様な回答なんて出てくる訳がないのは分かっていた。
欲しい言葉が得られないのに不満をぶつけた所で、余計に虚しくなるだけだ。
仮に、私の不満を伝えたとしても、「そんな事ない。心配してる。」と主人は答えるだろう。
それは多分嘘じゃない。でもその時は、その言葉だけでは到底虚しさは消えないし、いつもの様に、都合よく自分の中で勝手に解釈する余裕もなかった。
そんな気持ちで過ごす中、1回目の検査日を迎える。
病院に向かう電車の中で、『これをクリアできなければ……。』という不安がついて回る。
・子宮頸癌だった。
・人より子宮が小さかった。
・ウイルスを撃退するDNAがなかった。
これ以上の衝撃報告はもう結構。悪い報告はお腹いっぱいだ。
しかし、短期間で悪い報告を連続で受けたものだから、『“人より薬が効きにくい”という様な事があるかもしれない……。』などとネガティブな妄想がどんどん膨らんで止まない。
「はい。お終いです。」
しかし私がどれだけネガティブな妄想を膨らませようと、今日も先生は愛想0%。
治療も検査もさっさと終わった。
診察室から出る時、お腹の大きな妊婦さんが入れ替わり入った。
『……そっち側で通院したい。』
そう思った。知らない人に対して、病院内で泣いてしまう程嫉妬した。
そしてそんな感情を持つ自分が浅ましくて、帰りの駅でもっと泣いた。
自分が妊娠する為、癌を治す為に通院しているのは分かっている。
でもここにくる度に、私の中のドス黒い感情がどんどん熟成されて、体が熱くなり胃がキリキリした。
病院に来ているのに、体も心も良くなっているのか、悪くなっているのか分からなくなった。
検査を終えてすぐの秋の連休。
病院が休院なこともあり、主人と少し離れたかった私は1人で遠方の実家に帰った。
実家に帰ると、ある事がふと気になった。
周りのインテリアとも馴染まない、半紙でくるまれたドライフラワーがトイレの窓に吊るされてあったのだ。
「なんだこれ?紫陽花?」
気になって母に聞くと、「あぁ。神社でね。6月に紫陽花をトイレに吊すと女性の病気が治るって聞いたから。」と。
今はもう9月。私の病気が治るまで吊るしておくのだろうか……。神社で聞いたという事は、神頼みにでも行ったのだろうか……。
それらを母に聞く事はできなかったが、母がどんな思いでいるのかを想像すると、胸が痛くなった。もちろん主人に感じる様なイライラの痛みではない。
両親に、心配をかけて申し訳ないという気持ちはまだあった。
でもこの時、心配をしてくれている事がとても嬉しく救われた。
私に関心を持ってくれている、言葉に出さずともずっと寄り添ってくれているという事が、ドス黒くなった感情を一気に浄化した。
両親も姉弟も主人も、私の病気は治せない。
でも一朝一夕で治せない私の病気は、癌患部とは全く別の、“気持ち”という部分までも悪くさせる。この部分を治すには、私には家族の寄り添いが何より必要だった。
『主人に話そう。』
ドス黒い気持ちが浄化され、“私は寄り添いが必要な状態である“と素直に自分の弱さを受け入れられた。
(文/ワタナベミユキ)
※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。
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