妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.7
この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、
妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。
どんな未来が待っているんだろう。
あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。
うらぎりの子宮7 〜どちらのスタートにたてるか〜
あれから主人は、治療があった日は「どうだった?」と聞いてくる様になった。
主人からの「どうだった?」は、治療の事・病気の事を、聞く態勢に入るサインにもなっていたので、私もその言葉を聞いてから話す様にしていた。
元々、おしゃべりが大好きで関西育ちの私。
“話す”という事、“聞いてもらえる”という事。
これが一番の気休めになり、ドス黒い気持ちを溜め込まずに済んだ。
痛くて不快な治療も、トゲのある先生の言葉も、今までは“嫌な気持ちになる“要素でしかなかったのに、その日の内に主人に報告できるとなると、“いい話のネタ”になっていた。
そうなってくると、今度は逆に「今日は何か起こらないかな……。」と“ネタ”を待つ様になっていた。悲しいかな関西人の性である。
今までは治療に対して受け身だったが、“ネタ”を求める様になってからは、『今日も治療しましょうか!』となんだか攻めの姿勢になってきていた。
両親や主人を思ったり、妊婦さんを見たりすると、申し訳なくなったり、惨めな気持ちが生まれることはまだあった。
でも、前より明らかに心に掛かったモヤは薄くなり、ドス黒い感情で気が狂う様な事はなくなっていた。
数ヶ月目にして、本当の意味でようやく、私自身が病気と戦う準備が出来たのだと思った。
気持ちを強く持ったからと言って、癌が治るわけではない。
でも、先生が言った様に、気持ちが折れれば、直すための治療は到底続けられないのだ。
どんな形であれ、耐えているだけではいつか折れてしまう。
攻めの気持ちでいる事が大事なのだ。
『2回目もクリアしてやる。』
1回目の検査から、約1ヶ月半後。
1回目の検査とはうってかわって、かなり強気の姿勢で2回目の検査に挑んだ。
先生はいつもと変わらず、淡々と作業を進める。
私はいつも無心で天井を見て何も考えない様にしていたが、この時はカーテンの向こうにいるであろう先生をじっと見つめて『さぁこい!』と、足を広げた間抜けな格好ながらも、自分なりに心の中では戦う姿勢をとっていた。
以降の治療に対してもその姿勢は変わらなかった。
愛想ゼロの先生を見る目も、日に日に変化していった。
もう愛想がない人だとも思っていなかった。
連日会っているので、慣れてしまったのかもしれないが、“愛想がない”のではなく“嘘がない”と感じる様になっていた。
周りくどくなくストレート、必要最低限の説明で本当に大事なところだけを話している。
心に余裕が生まれると、人を見る目がこんなにも変わるものなのだろうか。先生に対して信頼感すら抱いていた。
2回目の検査結果が出た。
「今回もクリアです。」
先生のその言葉に、「……っよし!」と心の中でガッツポーズをした。
『頑張りましたね。』なんて褒め言葉はハナから期待していない。私の子宮が治療に応えてくれ、良い結果が出る事だけを求めていた。
治療に対して、気持ちだけはアスリートの様にどんどんストイックになっていった。
2回の検査をクリアした私は、『この治療法は私に合っていたんだ!3回目も行けそうな気がする!』と自信に満ち溢れていた。
癌が分かってからというもの、悪い報告が続いていたので、治療で良い結果が出た事はとてつもない励みになっていた。
ただ、約1ヶ月後の3回目の検査に近づけば近づくほど、自分でも思っても見なかった感情が、静かに湧いてきた。
『……検査を受けたくない……。』
子供でもあるまいし、自分でもこんな事を考えるのはおかしいと分かっている。
3回目が無事にクリアできれば、子宮頸癌が完治したという事だ。そうすれば、妊活に入る事ができる。私達にも子供が出来るかもしれない。
……そんな事はわかっているし、私が一番そうなる事を望んでいる。
でも検査を受け、結果を知る事が怖いのだ。
癌が分かってから、悪い事ばかりが続いた。でも辛い治療も頑張り、子宮がそれに応えてくれ、2回連続で検査をクリアする事ができた。そのおかげで、今気持ちが前向きな状態になっている。
じゃあ3回目の検査。もしダメだったらどうなる?
病気や治療に対してストイックになっている今、もし検査をクリアできなければ、必要以上に自分をせめて、心がポッキリと折れるだろう。
消して安くはない治療費と検査費。不快にしか感じない治療をする為の連日の通院。毎日10錠以上ある飲み薬。仕事終わりに同僚や友人とご飯に行く事すらできない。
……これが何ヶ月続くのか分からない。
そして、生活の中で見かける妊婦さんに嫉妬し、S N Sで赤ちゃんの投稿を見ては、また心にモヤをかける。
こんな日々をまた繰り返す事を考えると、私はもしダメだった時に、もう一回ゼロから治療のスタートを切れる気がしなかった。
そう考えると、精神的にも身体的も状態のいい今を崩したくなく、検査を受ける事がとてつもなく怖くなってしまったのだ。
私の悪い考えに対し、主人は「大丈夫。結果が出てから考えよう。」とだけ言った。
そりゃそうなのだけれども……。
目的が“妊娠する為に病気を治す”である以上、もし3回目の検査がクリアできず、私が治療を続けない事を選択し、妊活自体が難しくなった場合。
極端な話、この人は自分の子供を授かる事を諦め切れるのだろうか。
『……あのさ、子供、諦められる?』
そんな事、怖くて主人には聞けなかった。
嫌であろうが、怖かろうが、治療には欠かさず通っていたので、3回目の検査日も予定通りにやってきてしまった。
私以外はみんな普段通りで、いつも通り数十分で終わった。
何か先生に用があるわけでも、看護師さんに呼び止められている訳でもないのに、不安からか病院から出るのを躊躇った。
検査結果が出るまでの数日は、普段通りに治療に通い続けた。
12月になり、仕事もそれなりに忙しかったが、相変わらず定時に上がっては病院に駆け込んでいた。
検査結果はまだ出ておらず、『待つしかない。』と分かっていながらも、毎日ソワソワしていた。
「診察室に入ってください。」
検査を受けてから2週間弱経ったある日、診察後にこう言われた。
『きた!!!』と思った。処置室からの診察室の流れは、検査結果報告の時だ。
覚悟ができているのか出来ていないのか、自分でも分からなかった。
必要以上にショックを受けたくなかったので、『クリアしてます様に!』などと、祈る事もしなかった。
診察室に入るなり、先生が言った。
「おめでとうございます。クリアしてますよ。」
私の子宮は癌を消し去ってくれた。
一気に安心し、妊活のスタートに立てる事が何より嬉しくて、泣きそうな顔で先生に向かって笑いかけた。
(文/ワタナベミユキ)
※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。
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