妊活ダイアログ 七変化さん Vol.8

この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、

妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。


どんな未来が待っているんだろう。

あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。





治療から遠ざかった今、思うこと


予定帝王切開のため病院に入院したのは手術の前日。翌日、心の準備もなく手術となった。この時点で胎児の体重は2500gを少し上回っており、低出生体重児には該当せず、在胎37週以上での出産であった。ただ、手術前日の診断で医師から「赤ちゃんがだいぶ下りてきている(子宮口に近づいている)」といわれていたため、そわそわと落ち着かない気持ちを抑えられないままでいた。


いよいよ手術。硬膜外麻酔という局所麻酔で手術をするため、意識ははっきりしていた。淡々と処置が進み、ついに赤ちゃんがお腹から取り出された。看護師からは「元気な男の子だね!おしっこかけられたよ!」と声をかけられ、「!?オンナノコじゃなかったの???」と思ったことしか覚えていない。外で待っていた夫や父母も女の子とばかり思っており、対面の際は「??本当にうちの子(孫)!?」と疑念を持っていたそうだ(笑)。



ここから、怒涛の子育てが始まる。2500gを上回っていたとはいえ、細めの我が子は母乳を吸う力が弱く、当初は体重も増えずに本当に苦労した。不妊治療をし、妊娠するための勉強はたくさんしていたが、出産後のことはあまり考えておらず、わからないことばかりだった。そして、子育ては思うようにいかない。夫も新生児への接し方に戸惑っていた。


また当時の夫は忙しく、仕事で朝から晩まで家にいなかった。一方の私は、我が子が母乳を吸わないため、乳腺がつまり、熱も出て満身創痍の状態に。あんなに望んだ子どもなのに、「これでよかったのかな?」と考えてしまうことすらあったのだ。産後うつに関係する悲しいニュースを耳にすると、あの時の自分を思い出してしまう。もちろん個人差もあるが、妊娠・出産で気分が落ち込んでしまうのは決してまれなことではないと思っている。


そんな日々も落ち着き、子どもが1歳を過ぎると今度は「第2子の治療を急がなければ」という焦りが生まれ始めた。卵巣予備能の指標となるAMH(アンチミューラリアンホルモン)の値が低く、子宮腺筋症持ちの自分は、今後はより妊娠が難しいと予想できた。そして実年齢も40歳を過ぎているのだ。


授乳中は妊娠しづらくなる等の理由もあり、断乳の必要があった。その当時は離乳食も完了期に近づいてはいたが、母乳も続けていた。特に入眠時のスキンシップとして大事な意味があると考えていたため、断乳の決断には葛藤もあった。そして第2子の治療の最大の難関が通院だ。自宅から病院まではある程度の距離はあるが、自分1人なら公共交通機関で難なく通える距離ではある。しかし乳児連れではそう簡単にはいかない。そして病院にたどり着けても、子どもと一緒の受診となる。


私の通院していたクリニックでは、産科と2人目治療は別フロアに分けられていた。1人目は広々とした不妊治療専門フロアで治療が受けられたが、こちらのエリアでは子ども連れはNG。2人目と産科はいつも混み合っており、医師を選ぶこともできない。絵本やオモチャも置かれ、子どもは連れていけるもののとにかく狭いのだ。


苦肉の策として、地方に住む実母に来てもらい、自宅で待ってもらう、もしくは病院まで付き添ってもらう方法を取った。それほど若くない実母にとって、長距離の移動ややんちゃな男児の相手はそれなりに大変だったと思う。そして、さらなる不妊治療に苦しむ娘を見ているのも辛かったようだ。「もう、1人でいいじゃない」と何度もいわれた。



2人目の治療は1人目よりもさらに困難を極めた。私の心のどこかには、「なんだかんだいっても、ARTをすれば妊娠できるんだ」という思いがあったのだ。しかし、ほんの数年のうちに私や夫の分身たちも年を取っていた。受精できても分裂がうまく行かなかったり、最終的には受精そのものもできなくなったり……。私よりも数歳若い夫の分身も元気がなくなったため、体外受精を予定していたものの初の顕微授精にチャレンジしなければならなくなる場合もあった。私の方も卵子が採れても、変性卵や空砲(卵胞内に卵子がない状態)が増え、受精そのものまでにたどり着けないことも増えてきた。


実母への負担が大きくなり、費用もかさむのに結果は出ない。夫は何もいわないが、1人子どもができて満足しているように見えた。何度も治療を行った42歳のある日、治療を止めた。



子どもを授かる前、いつも聞かれた「お子さんはまだ?」という言葉。その言葉はなくなったが、「子どもは1人?(妹弟がいたほうがいいよ、1人はわがままになるよ、寂しいよ)」と聞かれることは増えた。1人っ子へのネガティブな視線の他にも帝王切開や高齢出産(不妊治療)に関する否定的な意見、母乳か否か、子どもが男か女かetc.……さまざまなことで優劣をつける場面に出会う。子どもがいるかいないかで悩んでいた時には考えもしなかった事柄だ。子育てには学ぶ部分は多いが、子どもがいないことにそこまで引け目を感じる必要があったのだろうか、それならそれで別の世界があったのではないかというのが本音に近い。


でもでも、もし、少しでも子どもがいる世界を見てみたいという気持ちがあるのなら。

やはり躊躇せずに病院に、できれば最初から不妊治療を専門に扱っているクリニックに行ってほしい。

それもできるだけ早く。

生理をはじめ、自分の体について客観的に話せるよう知識をつけてほしい。


そしてそして、治療の先についても意識してほしい。

治療何回、費用はどのくらいまでかかったところで諦めるのかまで。

そうでなければ、際限なく治療はできてしまうから。

でも、治療は確実に心と体に影響を及ぼしてしまう。

持病である子宮腺筋症が進んだのも、治療が影響している部分はあると思っている。


それでも、不妊治療が保険適用になると知った今、もう45歳を過ぎているのにチャレンジしたくなってしまっている私のような人は少なくないはずだ。治療から遠ざかっていても、そして「1人いるからいいじゃない」といわれても、本当はまだ納得していないのだから。



(文/七変化)

※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。

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