秒針はカスタネット 第五夜
ある夜の、ある瞬間に発せられる、自嘲とも自賛ともとれる飾り気のない言葉。
アロマを焚いてみたり、ペディキュアを塗ったり、SNS の四角い窓をひたすら追う。
それは、ある種の儀式のようでもあり。
私はリラックスを装いつつ、嵐のような明日に備えるように、また布団に入る。
サオリ。30歳、広告代理店営業。
寝る前は、ずっと考え事してる。仕事のこと、未来のこと。今は、「しんどい」の渦中にいる。考えすぎて眠れなくて布団の中で3時間経ってるなんてざらにある。
仕事の日は、帰ったらすぐ寝る準備。いつも0時回って家に帰って、そんな時間だからご飯も食べない。体力がないと明日を乗り切れないって思うから、プランクを1分半やって寝る。テレビも見ないし音楽も聞かない。ネットも見ない。布団の中で、彼氏と連絡を取るくらい。でも、私には忙しい方が向いているのかも。たまに本当に仕事が早く終わって、9時くらいに家につくと、「何しよう?」って、何をしたらいいのかわからなくなっちゃうんだよね。
小さい頃からずっと物書きになりたかった。大学を卒業して、脚本家の先生に弟子入りした。1年間くらいかな。何から何まで、全部やったよ。先生の子どもの幼稚園の送り迎え、犬の散歩とか、雑用まで全部。一回だけ、先生が脚本を担当していた連続ドラマのワンシーンに、私の脚本を使ってもらえたことがあったの。でも、もちろんクレジットに自分の名前が載ることはない。勉強させてもらってる身だから、給料なんてほとんどなくて、もちろん他でアルバイトする時間もなかった。そんなふうに働いてるなかで、脚本家になれたとしても、自分が書きたいものも書けるわけじゃないって気づいちゃったんだよね。もう脚本家を目指すのはやめようって、弟子を辞めた。趣味でいい。自分の好きなように書こうって決めた。
弟子を辞めたあとは事務のお仕事をしていたけど、本当に楽しくなかったの。大手で、お給料も良かったけど、会社へ行って、コーヒーを入れて、ボーっとしてるだけの毎日。そんな日が続いたら自分がいる意味とかを考え始めちゃって。結局転職して、今は映画の広告に関わる仕事。また忙しい毎日。脚本家としてではないけれど、違うところからまた大好きな映画に関われてる。
今の仕事ももう辞めるつもり。毎日日付が変わるまで働いて、休みの日でも出勤しなくちゃいけないこともざらにある。今だからこんなふうにがむしゃらに働けるけど、これから5年、10年って経った時、どうなっちゃうんだろうって。
でも最近、ちょっと迷い始めちゃったんだよね。仕事は大変だけど、やっぱり好きだから。でももう30歳。本当は今の会社が最後だと思って入社した。他にやりたいこともない。でも今の会社でずっと働き続ける自信はない。「もうこんな仕事やってらんない、辞めたい」って思う自分と、「もう少し頑張ろう」って思う自分の間で、行ったり来たりしてる。
ものを書くことが全てだった。小さい頃からずっと物書きになりたくて、それだけを目標に生きてきた。今は忙しくても辛くても、とにかく何も考えず働けてる。仕事を辞めたら、自分に何が残るんだろう。この歳でまっさらになって、お金もなくて、やりたいこともまだ見つかっていなくて、どうしたらいいんだろう。
脚本家になることを諦めたあの時から、今もまだ、自分の存在意義を見つけられていないのかもしれない。
実在の人物への取材に基づいて作成されていますが、文中に登場する人物の名前・職業はプライバシー保護のため架空のものです。実在の人物や団体などとは一切関係がありません。
(取材・文/撮影 道端 真美)
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